山陽〜山陰ぐるり桜花旅

今年は都合で4月に宮古、石垣方面への、3泊4日のツアーを予約した。今回もフライトの前日と、帰路日は臨空のホテルを予約し、5泊6日のゆとり旅にしたのだが。しかし、一か月前になって、妻が1月にやった白内障の手術の影響で、左目がゆらゆらするから、日差の強い八重山は止めたいとのことでキャンセルにした。だが車なら良いよ!!どう違うかは分からないが・・妻の気持ちを尊重し、数年前に化粧直しをした姫路城に行くことにし、そこから安来〜鳥取方面に行く旅程を考えた。多分桜はもう終わっているだろう、桜の姫路城はさぞかし奇麗だろうが、日程が取れないので桜は諦めて・・。おまけに、1週間前に旅の為に、ノーマルタイヤにはき替えたのだが何と前日19時の予報で伊那谷も雪予報に、ヤバイと思い、急遽ヘッドライトの灯りで又スダットレスにはき替えた。翌朝は早く眼が覚めたので予定を早め、5時に家を出た。予報が当たり結構な雪降りだ。幸い高速は未だ積もるほどではなかったが、園原では丁度規制の人達が動き始めていた。雪は中津川の先まで降っていたが、後は姫路迄雨、雨だった。だが道筋の桜は咲き誇り小牧JCT手前の桜並木が満開、そして5日間1,350km走行したが何と桜花が途切れることなく伊那まで続いた。

 

1日目  姫路城に着くと、雨が上がった(^^)何と未だ桜が満開、最高の景色だ。

 

         天守閣と桜。

 

      チケット売り場の少し手前から。

 

       西の丸、 天守から出て、外階段を下る際3メートルほどの区間で見える、、下りながらの一枚。

 

      西の丸から。

桜に霞む天守。情けないことに天守に登ったことで、左足が悲鳴を上げてしまったが旅は始まったばかり、頑張るしかない。

 

ロープウェイに乗って書写山、圓教寺に行く予定が、強風で運行停止・・そう言えば一昨年の九州でも、雲仙普賢岳に上るロープウエイが強風で運休だった(^^;;。やむなく早めに宿に向かう。時間があるので地元のスーパーに立ち寄った際、駐車場からの景色。この後5日間、道筋、川筋はこんな光景が続いた。

 
 

         塩田温泉の部屋から。

 

2日目   起きた際真っ白だった朝霧が晴れてきた。部屋からの眺め。

 

      食事処から書写山方面。青空と筋状に残った霧とその陰、そして薄緑の絨毯、清々しい景色だ。

 

予定を変更し、再度圓教寺へ。今日はセーフだった。今回の旅で私が一番来たかった場所だ。ロープウェイ山頂駅からさらにマイクロで漸くたどり着いた参道の桜。マイクロは5分程だが、山砂の急カーブに急坂の連続の狭い道で、ここで急ブレーキをかけたら・・・なんて感じで結構怖かった。

 

         魔尼殿(本堂)。

 

      同。清水寺と同じ木組み、これだけでも魅力を感じてしまう。

 

          常行堂方面に行く道。

 

      途中にある大仏。

 

         大講堂。

 

常行堂、ラストサムライや軍師黒田官兵衛の撮影にこの建物や食堂、広場が使われた。この場所が私的には、今回の旅のハイライトだ。

 

食堂。横にある井戸の説明板には、ここで修業していた弁慶が寝ていた時に顔に悪さをされ、この井戸で顔を映して見て怒り、喧嘩となって、建物を焼失してしまったと記されていた。

 

     本田家廟所。

 

         奥の院。

 

  ロープウェイ山頂駅より姫路市街を。霞んで見える山並みが淡路島だ。

 

     大山。大山パーキングにて。この数キロ手前からこの辺迄、富士山のように見える。

 

足立美術館、20代前半に来たままだから、もう50年ぶり。もう来ることもないだろう。やはり素晴らしい!

 

同。

 

同。

 

同。

 

同。

 

同。

     ここは横からは見れるが、この景色は喫茶に入らないと撮れない。

 
 

        米子に向かう道の駅から、格子越しに大山方面を。   

3日目 因幡の白兎神社前にある、大国様と白兎像。

 
 

  参道に沿って白兎の色々な仕草の像がある。

     参道の上から、整備された参道だ、が・・・。

 

頑張って上ったが、可愛らしい神社で拍子抜け。しかし、そこはおとぎ話の世界なので・・・。

 

鳥取砂丘。昔海まで歩いたし、今の足では50mも歩くのは無理!今回は眺めるだけにした。

 

        妻はそれでも一人で、200m程歩いてきた。

 

    鳥取城、正門。ここは秀吉によって飢餓攻めにされ、最後は人肉迄食らったという。

 
 

夫婦で杖を突きながら階段を上りだして左折、すると後ろから声を掛けられた。地元の方が無料ボランティアで案内してくれると言うのでお願いした。

 

池田32万石との事、正直小さな城址だろうと思って立ち寄ったのだが、予想に反して大きく、石垣も奇麗でビックリだ。正門方面。

 

天守の有った場所はこの山の上とのこと。地元には毎日登る人達がいるらしい、傾斜がきつく、岩盤で、整備された道もないようだ・・その健脚がうらやましい限りである。市街からは天守跡が見えるとの事。

   真ん中が三階櫓、奥が天球丸跡、二ノ丸から.。草の起こされているのは猪が草の根を食べた後だと説明された。   

         三階楼から、下乗場門後を望む。

 

巻石垣。今迄多くの城址を見てきたが、初めての石積だ。強度を増す為の工法とのこと。

 

この城址そのものが岩盤の上にあり、天守もこの岩山の上だ。城内は水が浸みない為、石積の排水路が造られていて、その水路にも水勢を抑えたり、ゴミが堀に流れないような仕組みがなされている。

 

      3段に造られた石垣、奇麗に組み上げられている。

 

         下乗場手前から見上げた城址。

仁風閣。大正天皇が皇太子として訪れるに当たって、宿泊施設として造られたものとのこと。

 

カラタチの生垣に花が咲いていた。子供のころ、隣家にカラタチの生垣が有りこの実(ダッケチと言っていた)を取って遊んだ記憶が蘇った。60数年ぶりに見たことになる・・時の過ぎるのは早い・・・。

 

      下から全体を。残念ながらここからでも全体を撮るのは無理だった。。

 

鳥取城址をゆっくり見て、市街を抜けると食事を取る場所が・・無い。私の場合、車の旅では良くあるパターンだ。2時少し前漸く岩見町で食べることができた。ボリュームも品数も多く美味かった!!そのレストランの庭にて。

 

     城の崎温泉に向かう途中にあった奇岩。

 
 

城の崎温泉の柳並木。ここは空いていたが、左後方の通りは混雑していた。白人、中国、韓国・等ここも外国人が多く、殆どの外国人が浴衣に色とりどりの派手な羽織を来ている(私の泊まったまったホテルでは千円で貸し出していた)。面白い着方の方もいて、見ていて飽きなかった。唯一、60歳程の韓国人男性が一人、民族衣装(大きな帽子も)を着て堂々と歩いていたのが印象的だった。

4日目 玄武洞。

 
 

          青龍洞。伊豆七滝の一部にも同じ岩(柱状節理)が有った様なきがする。

出石(いづし)城址。ここは5万8千石だったが、世継ぎのお家騒動で3万石となったとパンフに。時代劇によくあるパターンだが、こちらは事実だ。

           

    登る途中で。

  城址から出石の城下町を。

 
 

        振鼓楼。

 

振鼓楼手前の蕎麦屋で、出石蕎麦のケシ蕎麦なるものを食べた。.饅頭と菓子がついていたが食べてしまった後で・・。特徴は、小盛で5皿で出てくる。店主に聞くと、更科蕎麦にケシの粉を練りこんであるとの事。

 

蕎麦屋の席から窓越しに、出石城址のさらに裏山山頂にある、有子山城址を50倍近くに拡大して撮ってみた。地元の人達は結構登るらしいが、私の足では絶対無理・・・。残念!!

福知山に向かう途中にあった貸家。こんな半屋根の様な貸家が6戸・・初めて見たので一枚。

 

小さな集落の間を走っていた際、5〜6体の人形が(案山子)2か所ほど。その先に小じんまりした道の駅が有り、こんな人形が出迎えてくれた。聞くと、村起こしで始めたとの事。徳島の祖谷の真似かもしれないが、心和ませてくれる、結構なことである。

 
 

     こちらは恋人かな。

 

 こちらも・・。この右側奥の畑におばあさんの人形が・・・カメラを構えたら、あっ、動いた、こちらは本物だった!!

    店の中にも。

 
 

         ばあさんと孫、微笑ましい。孫のいない我が家にとっては羨ましい光景である。

     福知山城、駐車場から。この城は丹波の拠点として明智光秀が築いた。

 

         同、全景。

 

天守の裏。お城祭り中で、箏の演奏をしていた。晴れた空の下、桜と箏の音色良かった〜。

 
 

         城内から。

同じく、福知山の市街。突然右側から列車の音が・・一瞬あの悲惨な事故が脳裏をよぎった。

 
 

知恩寺多宝塔。天橋立に泊まったので、宿の近くをぶらり。私はここは3回目だと思うが、あまり記憶がなかったのでこの塔のみ1枚。

5日目   前夜の予報は雨、強風・・。しかし、起きてみると曇ってはいたが幸い雨は降っていない。そこで舞鶴にある桂林寺に立ち寄った。結構歴史のある寺らしい。 仁王門。帰宅後道の駅で貰った資料の中に、関ヶ原の前哨戦で石田三成軍1万5千人に対し、舞鶴の田辺城兵500人(細川幽斎)が責められた際、和尚が弟子14人を連れて入場志願。後にこの勲功を称え、細川忠興より仏涅槃図や梵鐘が贈られたとあった。何となく立ち寄った先で、チョットした発見も、旅の楽しさである。      

 

         山門。

 

   本堂はあっさりだったが、見せるものではなく宗教の場なので・・。桜が庭を覆っていた。

 
 

        墓地のあるところから。ここが一番絵になるかな。

高速道路を走っていると、三方五湖、道の駅の案内が。もう帰るだけなので、一旦高速を降りて道の駅に立ち寄った。ここで国宝の寺、明通寺が6km程の所にあることを知り、行ってきた。先に見えるのが国宝の本堂。鎌倉中期の建造。

 
 

三重塔。こちらも国宝で鎌倉中期の建造だ。住職が待機していて、我々だけだったが本堂に案内され、説明をしてくれた、が、記憶力がないのでほとんど覚えていない。只、本尊が薬師如来で両側にある仏像も含め、いずれも藤原時代の作であるとのことだった。こちらも国宝だ。

    下山して、庭から。枝垂桜と鐘楼。

 

5日間全く桜が途切れたことがなかった。これだけ桜を眺め続けられることはもうないだろう。それにしても川筋、公園、広場、道筋とどれほどの桜が植わっているのだろう・・。又、これに山桜が又違った趣を添えている。西の方は今年は例年より開花が遅かったらしい。更に開花後の低温が重なった影響で花が長持ちしていたようで、ラッキーだった!!妻の目に感謝〜〜?かな。