妻に腰が痛いから海外は嫌だと言われもう四年、が国内なら何かあっても医者にも行けると云う安心感からか幾ら遠くてもOKなのだ、私は昨年に比べると大分運転に自信がなくなってきた。遠距離に行くなら今年が最後だろうと思い切って東北一周、予定では2,400Km走破の旅に行ってきた。愛車も12年目で150,000Km弱使っているのだがすこぶる調子が良い。先般買い替えようと思ったのだがなんと「ゼロ評価」そこで思いとどまり車検を受け、タイヤも新調し旅の途中で故障したらそこで処分をする覚悟で出発した。(^^;;

連休中に畑仕事を頑張ったのがいけなかった、前日左足膝頭に痺れと結構な痛みが。内心ヤバイと思いながら、妻には大丈夫だー。初日家を4時に出発、妙高Pで休憩。ところがここで妻が転倒、両膝を擦り剥き右足首をねんざ、何ともとろっくさい夫婦である。
                    (伊那〜〜〜酒田〜にかほ温泉)                           
 

     高速を降り、7号線沿いの風景。

 

     漸く海岸線に、丁度羽越本線の列車が「かつぎ」あたりかな。

 

山居倉庫の裏側、欅の大木の若葉と黒塗りの古びた倉庫。今でも使っていた。車から降りたが膝上に激痛が、腰の筋を強く抑えながらヨチヨチと何とか観光した。

 

      旧本間家住宅、日本中に知られた大地主とのこと。

 

鐙屋。ここは酒田一の廻船問屋。屋根は杉の皮敷き上に玉石を並べた変わった造りだ。

 

鐙屋の内部から庭を、この火鉢は「おしん」の撮影に使用した物、記念撮影をどうぞとあった。

 

庄内資料館にある本間家別荘。2階は天皇の僥倖の折宿泊所として使われたとあった。

(この別荘、冬季の港湾労働者の失業対策で造ったとあった)
 

別荘側から見た庭、躑躅は白のみ。生憎雨が降りだし前方に見える筈の山は・・・。

                     (にかほ温泉〜角館〜田沢湖〜弘前)
 

昨日ガスッていて見えなかった鳥海山。東北に来た!と感じた。今回も又カメラ内部の汚れが右端に・・(このカメラ使い易く好みなのだが、気に入った写真に限って多く出てしまう(^^;;。)

 

   院内油田跡に向かう途中で寄り道、圓通山とあったが、寺の名前は忘れた。

 

にかほ温泉で見つけたパンフに秋田油田跡の情報が。早速最初の寄り道だ。院内油田跡。

 

   学校で秋田、新潟油田と学んだ。ここが日本一だったらしい、往時の姿(看板写真)。

 

角館の武家通り、枝垂れ桜の大木がずら〜り、花の季節に来たら壮観だろう。駐車場から100m程、相変わらず足の痛みがひどくこれが歩けない。人力車を見つけ何とか観光した。下車後困った・・・見ると少し先の店先に杖が・・・。

 

 早速これを購入、すると意外と歩ける(^^)これのお陰で今回の旅を続けられた。2千600円だったが何万円にも値する。感謝!

 

この屋敷、骨董等収蔵品が沢山あり良かった。中でも太刀と薙刀がプラケースに入っていて柄だけ掴めるようになっており自由に刀、薙刀を持ち上げ重さを感じることが出来る。私も薙刀は初めて持ってみたが柄がしっかりした拵えで結構重かった。

 

     道路沿いの平地林、秋田杉だらけだ。

 

     田沢湖に向かう途中で、秋田駒ヶ岳。

 

     田沢湖、水の色が澄んでいて綺麗だ。40年ぶりだ。

 

     八幡平は道以外は未だ残雪に覆われていた。

 

同、残雪と若葉が美しい、寫せなかったが、道筋にはこぶしの花も、短い春は一緒だ。

 

    下り始めると道路脇の湿地のあちこちに水芭蕉の群生があった。

 

     雪のない所まで下った目の前に現れた宝仙湖、吸い込まれるような水の色だ

                      (弘前〜十三湖〜竜飛〜平館台場)  
 

    最勝寺の山門と五重塔。

 

     本堂の横弘法大師像とウサギ。

 

    本堂右手のウサギ。

 

     同じく、左手のウサギ。寺とウサギこの組み合わせは?。

 

桜の時期には必ず放映される、赤橋と弘前城。右側の石垣が膨らみ工事中で天守の中には入れなかった。

 

     本丸から、堀越しに霞んだ岩木山。

 

    ねぶた村にて。

 

同じく、昨夜津軽三味線を聞くつもりだったがその居酒屋は休み、ここで生演奏を。あの響き良いですね〜つい娘にCDを買ってしまった。

 

     愈々竜飛を目指して。代掻きの終わった水田と岩木山。

      

     変わった鳥居が、時間があればどんな神社か行きたかったが・・。

 

    十三湖は雨だった。一応記念に1枚。

 

十三湖高原、この先の道の駅で思わぬ収穫が、なんとエゴマ油があった。一人1本とあったので早速妻と二人分2本購入した(^^;;。TV番組の後店舗で見かけたことない貴重品だ。

 

小泊岬。ナビに騙され2km程進み過ぎた。ナビが古いのでこんなこともしばしば、ここでUターン。

 

七段の滝。この少し前、リヤカーに日本一周の旗を付けた方とすれ違った。後で思うとあの竜飛からの急坂をよく来たものだ。

 

急峻で曲がりくねった道を上り下り20km程、特に下りは濃霧で20m先が見えない走行だったが漸く竜飛岬に!しかし、岬は強風雨だった。

 

     岬下の断崖、視界は此れまで(北海道が見えないと妻不服顔・・)。

 

     平館に向かう海岸線。

 

脇に駐車場があり、義経神社とあった。義経の終焉地というのが彼方此方にあるがまさかここにもあるとは。立派な神社のようだが雨の中参拝する気力もないので下から一枚。

                        (平館〜仏ケ浦〜恐山〜下風呂温泉)
 

     部屋から20m程の所に平館灯台があった。

 

曇り空の中、薄日が差し下北半島が見えた。その中を蟹田から函館に向かうフェリーが。

 

     灯台脇から見えた下北半島。

 

     隣にある台場後。看板に、250年程前までここに砲台があったとた記されてた。

 

     蟹田港より平館方面。

 

     蟹田港を出港したフリーにて、下北半島を望む。

 

仏が浦。駐車場に着いた途端バリバリドドーンと雷が鳴り大雨に(^^;;めげずに狭い下りの山道を傘を差し、杖を突いてヨチヨチ15分程下った、すると左側の岩より未だ高い所で道が切れ今度は木の階段が下までジグザグに、一瞬迷ったが下るしかないと決断した結果、この景色を。そうそう入口には熊に注意とあったが鳴り物を持っているわけでもないのにどうすれば・・。

 

階段を下る頃には幸い雨も上がった。しかし、今度は上りだ休憩を重ねながら、往復1時間余何とか車まで戻り着いた時にはホットした。

 

本日のメイン恐山にあと数キロの所あった水場。この反対側にトイレが有ったので用足しに。入口の戸に「マムシ等が入りますので必ず締めてください」とあった、中に入ってつい周りを確認してしまった。

 

     ついに恐山だ。これが三途の川、ウ〜〜ン・・・

 

     恐山、山門の左側の石仏。

 

     同、本堂と宿坊群。

 

    同、もう少し恐ろしげな風景を想像していたのだが・・・。

 

     同、上側より本堂と湖を見下ろす。

 

     同、こんな風景も。   

 

下風呂温泉に向かう道筋のPより、あれって北海道?残念ながら尻屋崎[下北半島」でした。

                        (下風呂温泉〜大間〜三沢〜蕪島〜種差海岸〜八戸) 
 

愈々マグロで有名な大間漁港に、ここでフォークリフトでマグロを吊り上げていたなあと思いながら。

 

     この裏側の船どまり、船舶数が多い。私は漁港を見ると清々しい気持ちになる。

 

     少し移動して、大間崎。こちらの前には土産物屋、食い物の店舗が沢山ある。

 

     三沢に向かう道の駅から見えた、風車と菜の花畑。

 

   六ヶ所村に入った道沿いにある、動燃PRセンター。休憩を兼ね見学してきた。

 

     小川原湖の東側、国道との間は広大な休耕田か?畔のようにくっきり区画が見える。

 

     鮫漁港越しに見える蕪島、ウミネコの繁殖地だ。

 

 蕪島神社、上空にウミネコがたくさん舞っており糞をかけられないか心配しながら参拝した。

 

    人を全く恐れず、30cm近づいても何か用か・・てな感じ。その先では抱卵中だ。

 

     葦毛崎展望台、西洋の城壁風に見える。

 

     展望台の足元の窓越しより眺めた種先海岸。

 

     道の駅みさわ。一瞬放牧・・馬の像でした。

                      (八戸〜久慈〜北山崎〜浄土浜〜盛岡) 
 

     久慈琥珀センターによって、海女ちゃんの舞台久慈漁港を目指す途中で。

 

  同、断崖を削った道で狭いし工事中の所も。ここで津波が来れば逃げようがないな・・。

 

久慈漁港、前方に見える海女センターは以前の建物が津波にやられ、新しく建てられたとのこと。屋上は避難場所なのだと説明された。

 

    この場所で俳優が潜って海女チャンの撮影が行われた。

 

 綺麗な景色についシャッターを切ってしまう。しかし、下の線路近くまで津波が来たのだろう。

 

この直ぐ右に5階建てのホテルがある、奥が入り江になっていたから恐らく2階までは津波を受けたのでは、今は綺麗に修復されていた。

 

    道筋にはこんな看板が時々あった。

 

こちらの看板はひっきりなしに現れた。酷い時に前方1、300m、後方2、600mなんてのも、知らない道ではもし津波が来ても逃げようがない。

 

大きく左カーブを切ったおり、妻がアレ!どこかで見たことが、そうだよく映像で流された宮古行の電車だった。

 

浄土ヶ浜に下る際に。ここは駐車場から下り坂をかなり歩かなければならない。杖を突きながら入口の監視員にどれ位かかりますか?と聞くと杖を突いた私を見て、特別通行許可証を出してくれた、お陰で何とか下まで行けた。(^^;;

 

    浄土ケ浜、西村京太郎シリーズのTVドラマでも最近出ていた。

 

宮古の港の北側で信号待ち、見るとこの表示が。津波の実況放送の折このあたりを大型船が波に翻弄されていた画像が蘇えった。ゾットする。

                        (盛岡〜平泉〜厳美峡〜仙台〜秋保温泉)  
 

    平泉にある、毛越寺。焼失前は中尊寺より大きな寺だったらしい。

 

この寺は庭(浄土庭園)が美しいことで有名だそうである。開山堂をバックに朝の雨に濡れた松の花と新芽がに映える。

 

    開山堂より大泉ケ池を、手前のアヤメ咲いていれば・・・少し早かった。

 

池を挟んで本堂の反対側にある曲水。この遺構は平安時代のもので日本最古。昭和になって復活され、ここで「平安貴族の衣装で曲水の宴」が毎年5月に行われている。

 

厳美峡(上流)

 

厳美峡(下流)

 

映像でおなじみの「空飛ぶ団子」丁度操作中だったので、それにしても人力で・・一日何十回では済むまい・・重労働だ。

     達谷西光寺。達谷窟毘沙門堂。厳美峡手前数キロで左側に観光バスを含め20台程駐車している、反対側を見るとこの寺が、これは見なければと厳美峡から戻り見学した。清水寺を真似て造ったらしい。
 

堂の左側の崖に彫った顔面大仏。大分風化している。

 

    入口の反対側に有った風景、若葉と茅葺の佇まいがホットした気持ちにしてくれる。
    (左が御供所、奥が本堂)

 

おなじみの青葉城址の正宗像。

 

   城址から遠くに白い観音像が見えたので、倍率を上げて。しかしデジタルではここまで。

 

    瑞宝殿、正宗の墓所。

 

本殿、何とも煌びやかだ。少し離れた場所にも藩主の墓所殿が二つあったがこれほどではないがやはり煌びやかだった。

                        (秋保温泉〜上山〜米沢〜大内宿〜東山温泉)
 

秋保温泉で泊まったホテル、帰り際気が付いたのだが、両面鏡張りなのでこんな画像が。

人物は無視願いたい。
 

    上山に向かう途中の日の出ダム湖から。

 

上山城、この先の階段を下ると入口が。この城はなんとエレベーター付きだった。この藩は三万石だから高遠藩と同規模だ。

 

     天守の外廊下より見た上山の景色。

 

     上杉神社(米沢)境内

 

     上杉神社本殿

 

本殿脇にある稽照殿。ここは謙信、景勝、兼続の武具,甲冑、刀剣等本物がズラ〜リ。一番気に入ったのは謙信が持っていた木の枝をそのまま生かし黒い漆塗りにし杖状にした仕込み刀かな。

 

     沢山の鯉に見送られてこの旅最後の目的地に。

 

    会津に向かう山道で。

 

愈々大内宿に、時間も4時少し前だったので比較的空いていたと思うが、それでもこの後未だ続々とやってきた。

 

杖を突きながら、この小高い所まで上ってきたがその価値はあった。傾いた日を浴びた茅葺の屋根が綺麗に並ぶ景色はここ以外ではもう味わえないだろう。

 

今日で観光は終了、明日はひたすら帰るだけだ。東山温泉のホテルから夕焼けの会津。

   予定よりほぼ100km程余分に走り2,500km程走破。爆弾を抱えた腰で我ながらよく走れたと思っている。車は無事だったが妻は両膝は血が死んで黒く、挫いた足首は腫れと痛みが取れず翌日は早速医者に。私も数日後にやはり医者に(^^;;何とも情けない夫婦である。しかし、ブログを作りながら改めて痛い足を引きずったり、杖に助けられたりと結構無理をした旅ではあったが途中でリタイヤせずに続行して本当に良い旅であったと振り返っている。毎回の旅で思うのは情報紙やネットで事前に入手出来る観光場所は限られてしまう、やはり、道の駅やらホテルに置かれているその地域のパンフレットに思いがけない情報を見つける。今回もそういった箇所が幾か所もあったが時間的制約があり行けず悔いが残った。次回からは旅の仕方を考えようと思う。