九州北部、よたよた夫婦旅   

 相変らず左足の痺れ。膝の締め付け感は改善されない。しかし、2ケ月もすれば若干は改善されるだろうと思って3月の初旬に九州北部、6泊7日(2泊はフェリー)の旅を計画し、予約済。行けるとこまで行こうと思い実行した。出発3日前喉に異物が入り、数回咽んだ際、右尻の上にツンと痛みが走った。やってしまった!!正常な右腰迄も。こんな状況でもG0・・だ。我ながら遊びとなれば根性(バカかも)がある??。そして、妻も腰痛と膝痛で悩んでいる。何とも軟な夫婦である。

 

     360km走って、ようやく神戸港を出港だ。

 

     出港間際の景色。

 

     明石大橋。後は食事をして、翌朝迄ゆっくりと睡眠だ。

 

初の観光地、大宰府天満宮。大雨にも拘らず、参道は人であふれていた。99%中国人だ。

 

田平天守堂。こちらは韓国人の団体が二組、一組はミサの最中。日本人は私達だけだった。

 

     平戸公園からの平戸大橋。

 

     平戸城。城から1km程離れ撮影してみた。

 

     同、天守から

 

    同、今回止まったのが対岸のホテル。夕食時、平戸の観光施設が一望だった。

 

     ザビエル記念天守堂。ここはカメラの望遠で眺めてきた。

 

     平戸港。この左側では潮の流れが川のように早かった。

 

     オランダ商館。ジャガタラ文の、(平戸に)帰りたい。帰りたいとの文に哀れさを感じた

 

    平戸の眼鏡橋。大石の滑る階段を恐る恐る降りて、下から撮ってみた。

 

     最教寺の3重の搭に行く参道。

 

最教寺の3重の搭。田平教会以外では。平戸城で2人に有った以外は何処でも全く観光客には会わなかった。

 

     名護屋城に行く途中で、浜の浦の棚田。

 

     名護屋城。秀吉が朝鮮出兵の際築いた城。周囲に名だたる武将の陣が取り巻く。

 

      同、想像以上に大きな城跡だ。

 

  同、行く前、妻はそんな城跡は・・と馬鹿にしていたが、帰路にはここが一番良かったと!

 

     同、本丸より。

 

    同、本丸。

 

     唐津城。

 

    エレベーターがある所に行く途中の、舞鶴公園からの眺め。

 

本丸からの眺め。エレベーターに乗る際、年齢も聞かずに70歳以上は無料です!と云われてしまった。(^^;;

 

祐徳稲荷。ここは、タイのTVドラマで有名になり。タイ人が多く訪れるとテレビでやっていた。

 

     同、入口門。この反対側に門前町が広がっている。

 

     本宮。地獄組もどき、こちらはコンクリートだが、趣は有る。

 

     さあ、長崎だ。先ずは浦上天守堂。杖を突き突き何とかクリアーだ。

 

そして、平和祈念公園。シンボル像の前で修学旅行の中学生が不戦の誓い文をよんでいた

 

     爆心地。白人の旅人も多い中、こちらでも中学生達が誓い文を読み上げていた。

 

長崎市内に。何とか駐車はできた、しかし、急な上り下りでしかも距離もある。とても歩く自信が無い。そこで、タクシーを拾で廻ったが、正解だった。ここは復元された出島だ。

 

興福寺。日本にある唐寺では一番古く。3代目の和尚、隠元禅師が、インゲン豆を伝えたとの記述があった。

 

  こちらは、長崎に有る眼鏡橋。この脇に有るカステラ屋が長崎一と云われ、数本購入した。

 

御存じ、グラバー邸。昔と違ってエスカレーターが2機ある。、それでも私の足ではきつかった。

 

     グラバー邸からの景色。

 

     大村天守堂。天守堂の中で、ここだけは入場料をとっている。

 

雲仙に向かう途中の千々石(チジワ)の棚田。ここは未だ耕していない。手前の藪に有った野イチゴを見つけ摘まんだが、甘さが強く、今までのイチゴでは経験が無い程だった。

 

更に500m程上った所に小さな社と展望台が。ここから見える棚田は既に田植えが終わっていた。水が少ないから順次上からかな。下の里ではジャガイモの収穫真最中だった。

 

仁田第二展望台からの普賢岳。穏やかに見えるがすごい強風で手すりに足を絡めて撮った。

 

     同所からの景色。これを撮るのも横風に体を持っていかれそうで必死だった。

 

看板。溶岩ドームが成長、そして火砕流発生。そして土石流。当時のTV映像を思い出した。

 

     茶色の所が火砕流、土石流の流れた跡だ。

 

一番先の橋右側に道の駅があり、9軒の家が屋根下まで埋まったまま保存されている。

    雲仙ロープウエイ、強風で運休。車のドアを開けるがやっとだった。霧島が咲き始めていた。
 

雲仙温泉に下る途中の公園。1km以上こんな景色が続いた。(例年より1週間遅れとのこと)

 

雲仙地獄。キリスト教徒殉教の場所だ。島原城に、ここに教徒が投げ込まれる絵図が有った。

 

    同、地獄。

 

     同。

 

    雲仙のホテルの部屋からの景色。

 

     その少し左側。こちらは全て閉業状態。他にも1件解体していた。地震の影響か?

 

火災流記念館よりの普賢岳。ここに着いた際にクシャミが。ハンドルを持って構えたが、又、治りかけていた右腰に痛みが走った!!

 

島原城。ここは、城内迄車が入れるのだが、着いた途端雷がなり、土砂降りに。係りの女性が傘をかざして車まで、送迎してくれた。このカットを撮ろうと城外を回り、雨の中で撮ってきた。

 

前日、速水IC手前数キロは凄い濃霧で目が痛くなるほどだった。別府地獄で蓮の出迎え。

 

     同、別府地獄。

 

     同。

 

     同

 

     同。

 

     同。

 

    同。

 

     同。

 

     同。これは間欠泉、さほど珍しくはないかも。

 

船城からの由布院方面。今は城だが、鎌倉時代だから砦?内部は白蛇を神に祭っている

 

     同、大分市の山側。

 

     同、大分港を。丁度サンフラワー号が停泊していた。

 

杵築城。今回の最終観光地だ。私の好きな時代小説のモデルとの説もあり、来たかった城。

 

     城内は、撮影は自由とのこと。早速兜を。

 

     こちらも兜を。

 

      鎧も幾点もあり、城主の物も撮ったが光が入り失敗。

 

     矢尻。これほど多種の矢尻が揃って展示されているのは初めてだ。

 

     日本刀は残念ながら、これ一振り。ox・・海軍大将のものらしい。

 

軍人の勲章。我が家にも、日露戦争に行った祖父の物が幾つかあったが、遊んで失くした。

 

天守よりの景色。城に上がる道で、和装の男女十数名と行き会った。お茶会?いやいや皆韓国の方でした

 

    天守より海側を。

 

     天守手前の城内に、城下に有った石寶搭を集めてある。この裏側にも沢山有った。

 

     この左側が武家屋敷通りだ。この階段坂は、よく時代劇で使われるそうだ。

 

     武家屋敷通り。見える人は皆韓国人だった。

 

    武家屋敷の玄関。

 

     隣の屋敷の座敷と庭園。

 

    全員韓国の方々。反日と云いながらも、日本の着物に対する憧れが強いようですね。

 

     杵築城と宮本武蔵に関する看板。

 

    帰路の朝、明石大橋通過。煙突が当たる錯覚だ。

 

石の海。小さな遊漁船が数十隻。明石鯛狙いか。5月下旬には海に・・GO!!と心に決めたのだが。帰宅した夜、左向きに寝ると右の一番したのアバラの少し内側に、押されるような違和感があり、呼吸が出来ない。翌日の夕方いきなり39,8°の熱が出て悪寒と体が震える。医者に行くと・・・何と、肺炎ですと。肺炎の予防接種は2回目をしているのでまさか・・・。 これで5月中の海釣りは不可能となってしまった。何とも体たらくな体になったものである。